JANIS JOPLIN biography 誕生〜ハイスクール時代

JANIS JOPLIN biography 1
【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

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人の経歴ってのはそりゃ~長いもん。
例え若くして逝ってしまった彼女に於いてもそうとうなもんです。
でもここでは敢えてきちんとゴシップなしで語らせてもらいます。
あくまでも、俺なりの観点も含めて。相当長いです。


1943年、1月19日、
テキサス州. ポートアーサーにて、
父のセス・ウォード・ジョップリン、
母のドロシー・イースト・ジョップリンの長女として産まれる。


本名は「ジャニス・リン・ジョップリン」


兄弟は6才違いの妹、ローラ・リー・ジョップリン、
10才違いの弟、マイケル・ジョップリンの5人家族。

彼女が産まれたアメリカは
第二次世界大戦が激しさを増していた恐慌な時代だった。

よく、両親の育て方が悪かった、なんて噂もあるが、
そんな事は決してない。
幼少の頃はとても可愛がられてスクスクと悪戯好きな、
どこんでもいる元気一杯な女の子として育った。
どちらかと言うと男勝りな子だったので、
女の子よりも男の子の友達が多かったよう。
こんな性格が後に随分と
単に「男好き」みたいなレッテルを貼られる事がホント頭にきます。

ハイスクール時代、
2年生の時に「小劇場グループ」の男の子達と一緒に年鑑制作の委員になる。
そこで彼等はジャニスに、
自分達が夢中になっていた新しい世界を教えた。
それが、1957年に「ジャック・ケルアック」が出版した、
生き方のひとつの選択ぎを示した衝撃的な本「路上」だった。
それはまさに「ビート・ジェネレーション」の時代であり、
やがてそこから「ビートニク」が発祥することとなる。
この本に登場する「ディーン・モリアティ」なる人物を
当時の現代の素晴らしいアウトローとし、
ケルアックはそれを「白い黒んぼ」と称した。


ジャニスにとってこの「ビートニク」の生き方が、
後の人生にとても大きな影響を与えていく。


所謂「ビート派」とは、
生きている実感を取り戻すために、
本当に大切なもの以外の全てを生活から切り捨て、
貧乏である事をも素晴らしい事とし、清貧の中で生きている人。
得に黒人のジャズミュージシャンを賛美していた。
そして、慎ましさと自由のバランスを保つミュージシャンの人生の中に
答えを見つけようとしていた。

一般的に「ビート」というスラングは
「疲れきった/デッドビート」「使い古された/ビートアップ」
から来ているらしいが、
ケルアックは「幸福に輝く/ビアティフィック」と言う言葉から派生し、
心の中の「魂」が発する音楽のビートに合わせて歩む事だと考えた。
例えば、当時の代表的な映画だと「理由なき反抗」など。
ジェームス・ディーンの横柄な態度と
ブルージーンズという新しいコスチュームで、
しゃちほこばった世界を見下すみたいなね。
そして貧しい黒人が持つ、
高遇な道徳心と称えたケルアックの理想をジャニスは自分の理想とした。

随分、黒人に対して貧しいだの、
白人より劣っているみたいに綴っているけど、
当時はまだまだ人種差別問題が大きく社会の風潮にあった。
でもそんな影響もあって彼女は


人種差別問題は、あってはならないこととにして歌っていく。


だから、エラ・フィッツジェラルドも偉大だけど、
ジャニスの功績もとても大きいことだと俺は思っている。

まさにエラの逆バージョンじゃないですか。
これはとても理解してもらいたいところなんです。

そんなジャニスは当時、
あまりに黒人を見下す学校の先生に向かって

「あたしは黒人だって大好きよ!」っとハッキリ言葉をぶちまけた。

それ以来、
「黒んぼ好き」と周囲から罵られたりする事になってしまったけど、
そんな真直ぐで、大きな愛の器を持った彼女は大好きだ。
でも、当時に於いては相当な爆弾発言だった。

この出来事以来、
ジャニスは生き延びるために世間に対して強硬な態度をとることにした。


高3あたりになると、
ジャニスも次第にビートニクっぽくなってくるが
当時はどちらかというと単に反抗児に過ぎなかった。

苦労していい具合に汚したスニーカーを洗われて
激怒とかしていたらしい(笑)
当時、人々がまだ、他人と違っている事を望んでいなかった時代に
ジャニスは人と違う生き方を目指していた。

一方、この頃は
ビル・ヘイリー、エルヴィス、バディ・ホリーなどが大流行。
ロックは耳を傾ける音楽ではなく、それに合わせてダンスする音楽であった。
ちなみにロックンロールのルーツは、
フォークと黒人のリズム&ブルース、カントリー、ウエスタン。


ジャニスは踊るロックよりも、ロックのルーツに興味を持ちはじめる。


当時ジャニスがもっとも惹かれた音楽は黒人のブルース。
そして生まれついた白人世界の外に出て、
人種を超えて黒人文化の詩情と精神に触れることとなる。
それと同じ時期に、
自分に向いているのは「絵」を描くことだと考えるようになる。


さて、思春期に入ったジャニスは
当然の事ながら、どこにでもいる高校生。
勿論、お酒にも興味深々になり始めます。

当時のポートアーサーの街には
グリフィング・パークやペア・ロッジといった
独自の法律をもつポケットのような場所がいくつかあった。
酒を店で飲み物として出してはいけないというテキサス州法の他、
酒屋の所在地を限定することによって
「禁酒」という錦のお旗を高くかかげる小さな飛び地ができるというしくみ。

要するにアル中をなくそう!という運動。

そんな状況の中、
ジャニスは本から酒についての知識を学んだ(笑)
なんか可愛いよね~。
しかもかな~り一所懸命調べてたらしい(笑)
そして彼女は文学的才能と酒グセの間には強いつながりがある事を発見!
なんのこっちゃ~(笑)

F・スコット・ジェラルドや
ジャック・ケルアック、エドガー・アランポーなど、
1958年までにノーベル文学賞を受賞した8人のアメリカ人のうち
4人がアルコール依存症だと判明!
やがて仲間達と近くにあるミュージックホールへ通い始めるようになる。
それは、幸か不幸か、
ポートアーサーはルイジアナ州との州境近く。
しかもルイジアナ州は18才から酒を飲む事が出来たのだ。


17才の頃、
友達とニューオリンズへ大好きな音楽を聞きに
両親に内緒で父の仕事用の車を拝借し
「友達の家に泊まる」と嘘をついて出発。
ところが、帰りにラジエーターが壊れ車が動かなくなってしまう。
この時、ルイジアナ州の警察が
ジャニスが未成年者で成人の男達と州境を超えている事を知る。
しかも事もあろうが、
ジャニスがその男達に性的強姦をされてると勘違いされる!?
それ以来、ジャニスは

「ニューオリンズで複数の男達といけない事をしたフシダラな女」

として勘違いされるようになる。。。

でもこれは本当に全くのデタラメで
彼女達は一晩中大好きな音楽を聴いてバーからバーへ渡り歩き、
いくつものバンドのライヴを観ただけだったのに。。

映画「ROSE」でもこの忌わしい話しがちょっと出ていたような気もする。
ホントあの映画は嫌いだ。

ジャニスにとっての高校時代は
楽しく過ごしたのと同じくらい辛い時期でもあった。
でも、俺だってそうだった。
彼女が不運だったとか何とかってよく言われるけど、
みんなそうじゃないのかな?
最近の虐め問題と一緒だと思う。


彼女はどこにでもいる普通の女子高生だったんだよ。



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ジャニスジョップリン
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by ohpg | 2011-01-20 03:46 | JANIS JOPLIN
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