JANIS JOPLIN biography ビッグブラザー脱退

JANIS JOPLIN biography 5
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

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1968年、
BBHCは、NY アンダースン・シアターで行われた
「イースト・コースト」に出演。

この時のオープニングアクトは何とBB キング。

初のNY公演だったが、大絶賛される!
この時のジャニスをメディアは「アレサ・フランクリンの白人版だ!」
と語っているほどだった。

同年、メインストリームに25万ドルという驚愕な金額を払って解約をおこなう。
そして大手、CBSへ移籍する。

また、この時期に、
それまで長い間アメリカの音楽業界に根付いていたアーティストの男女格差が
ジャニスの登場によりなくなる事となる。
この功績はとても大きい事だったんです!

その一方、NYに於いてBBHCは、
シスコの家族的な絆を持つバンドとしてではなく、
ジャニスというシンガーのバックバンドのように扱われはじめる。
そしてついには、CBSによりバンド名を


[ JANIS JOPLIN and BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY ]


に変更されてしまう。


この頃のジャニスは、歌に対してこう述べている

「他のシンガーと同じくらい長い期間、
 歌うことは出来ないかもしれないけど、
 明日のことを思いわずらって今日を駄目にすることもあるはず...。
 今、この瞬間に手に入れるものが欲しいんです 」


1968年7月、
アルバム「チープ・スリル」リリース。

スタジオライヴ盤として発売されたものだが、
発売3日にしてゴールドディスクを獲得するという驚異的な売り上げをだす!

そんなジャニスが人々に認められたのは、
彼女が人々に見せた「公的」な姿が、
彼女の本当の人格に根ざしているものであるからだ!
....と思われたが、
それは実のところ、ジャニスの一部にすぎなかった。。
しかし彼女はそれが自分の全てだと思い込むようになっていく。

「私的」な自分よりも「公的」な自分のスイッチを入れなければならない機会が
確実に増えていたからだろう。

ジャニスは「ロスアンジェルス・タイムズ誌」にこんなことを述べている。

「ステージで歌っていると、
 空気の中で何かが本当に動いているみたいなの。
 形があるものじゃないけど、
 愛とか欲望みたいに、
 とてもリアルな何かが」


ジャニスは次第に、
本当の自分でいられるのはステージだけのようになっていってしまう。

まさにこ頃のジャニスは
「とりつかれたように感情を歌い上げるシャーマン」と化していた。


「私は感情で一杯で、いつもそれを解放したがっているの」


世の中の大衆は、
新しく発見した自由を謳歌するジャニスを見たがっていた。
会う人全てがジャニスがどんな人物かということに先入観を持ち、
ジャニスはそれに反応し付き合うことによって、
次第に自分の中の大切な「心のカケラ」を失ってしまう。。
しかも、気持ちが不安定で弱っている彼女をよそに
周囲の関係者は、BBHCの脱退を囁きはじめるようになる。
なんて最低な奴らなんだ! 悪魔め!


この頃のジャニスは、ホント疲れていたんだよ。
どうして誰もそれを分かってあげなかったんだろうか。。
彼女はいつも前向きで一生懸命、バンドの為に、ファンの為に、
家族の為に歌っていたのに...。
いつか誓った「自分に忠実であれ」という信条すら
判断することが曖昧になり、
何が一番良いのかは、他人が知っているのだと思うようになってしまう。


一方、この頃のジェイムズ・ガーリーは
大量のアルコール摂取でステージから転げ落ちそうな程だった。
そんな周囲の状況も続き、
ジャニスは、サム・アンドリューを誘ってソロ活動を決断する。

JANIS JOPLIN は既に大物になっていた。

そして他の大物たちと同じように厳しいビジネスの決断をくだしたのだ。
しかし、それと同時に
全てを自分ひとりの責任で決断していく道に足を踏み入れる事となる。

こんな大切な時期に於いても
ジャニスは家族に手紙を出して自分の選んだ人生の選択について
きちんと説明をしている。
それに対し母は、
全てを認め心から応援する意を伝えている。

そんなジャニスはこの後一気に力が抜けてしまい、
疲労のため2本のコンサートをキャンセル。
(分かりやすくてOK!笑)
それでも急速に回復した11月のコンサートで復活!
この時のヒューストン・ミュージック・ホール には
家族が全員で観に来てくれました。

実は、よくウワサされる「家族との不仲説」は、
ジャニスがマスコミに対して面白がってした作り話なんです。

そのストーリーは、
ひどい仕打ちをうけたはぐれ者が成功した!という話(笑)

その作り話の中にあったのが、よく聞く
「14才の時、家族がジャニスを追い出した」というもの。
でも実際、この話しをメディアで聞いた家族は打ちひしがれたらしい。
ま~無理もないけどね。
それでも家族は怒ったりしなかったそうです。
相変わらず悪戯っ子なジャニスだだったんだね。

さて、そしてジャニスは気合いを入れ直し、
それまでの「愛の世代の夢と幻想」にきっぱり背を向けた。


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JANIS JOPLIN バイオグラフィー1
【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー2
【カレッジ時代(1961年)~LA. ヴェニス. オースティン時代(1962年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー3
【サンフランシスコ時代(1963年)~再び戻った家族のもと(1965年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー4
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY への加入(1966年)〜成功への階段(1967年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー5
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー6
【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー7
【真剣な恋、そしてFULL TILT BOOGIE BAND結成~アルバム「PEARL」レコーディング開始(1970年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー8
【1970年10月4日. ジャニスの死】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー9 最終章
【大好きなジャニスへ】


ジャニスジョップリン
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様々なコレクションはこちらで紹介しています。
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by ohpg | 2011-01-21 00:07 | JANIS JOPLIN
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