JANIS JOPLIN biography コズミックブルースバンド

JANIS JOPLIN biography 6
【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

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1968年12月、
新バンド結成わずか3週間でデビュー。

この時点ではバンド名はないが、
後に「KOZMIC BLUES BAND」と呼ばれるようになる。

当時大ブレイクしていた
「アレサ・フランクリン」のようなスタイルにしようと
ホーンを参加させ、リズム&ブルース的なサウンドを目指す。
自分の心に自由に歌わせ、
昔から惹かれていたサウンドと自分の感情を合体させるチャンスでもあった!

そして12月21日、
メンフィスで行われたスタックス・ヴォルト・コンサートで初ライヴ!

心体的にもちょっと落ち着いたジャニスは
ポートアーサーにもちょくちょく戻る機会を増やしている。
また、この頃に弟のマイケルが
「お姉ちゃんのように学校を辞めて付いていきたい!」と言い出す。

ジャニスはそりゃ~弟が自分を信頼してくれたことを
心から喜んだに違いない。
でも、

「学校は絶対に辞めちゃダメ!卒業しなきゃダメよ。
 私のところには夏休みに来なさい」

とお姉さんらしい意見を述べている。
ん~ジャニスも25才になって、
大人になったんだな~と実感できるやりとり。


1969年、
一方メディアは、BBHCを脱退したジャニスバッシングをしはじめる。
これらは正直、俺は興味無いことだけど、
この後のジャニスをお話する上では必要なのかもしれない。
だから敢えて、いくつかを記すことにします。


 *その脱退はシスコシーンやジャニスに共感した事への公的拒絶だ!

 *ヒッピー文化が公然と軽蔑してきた金銭欲と個人に対する社会評価。
  ジャニスはそのエサに食らいついたのだ

 *今のジャニスはただのショービジネスだ

 *成功がジャニスをダメにした!

 *新しいやり方は滑稽で不愉快だ!


新しいバンドとBBHCの大きな違いは
メンバーを金でやとったスタジオミュージシャンだということ。
当然、ジャニスがそれまでに経験した
家族的なバンドを理想とする考えが通用する余地はどこにもなかった。
ステージを降りれば、ハイ、サヨナラ、
彼らの生活はバラバラだったのだ。

バッシングに対してだって、
ジャニス本人が一番分かっていた事だし、
それを理解した上で踏み切った決断だったのだ。
でもジャニスだって普通の弱い女の子だよ。
そんな事を公に言われれば辛くて泣くにきまってるじゃないか!
そんな状況に追い込まれてますます酒の量が増えていってしまう。
酒くらいで気がおさまるんなら飲ましてやれ~!
って俺だってそこにいたら言ったかもしれないな...。

そんな中、
3月にカリフォルニアへ行き、反感で沸き上がっている
ウエスト・コーストのファンとマスコミの前でコンサートを行う。
この時のプレッシャーが
ジャニスにヘロインの使用回数を増やさせてしまう事にもなる。

分かっていながら、
どうしようもない状態で、
大好きなアルコールにヘロインをプラスすることへの危険な賭けをしていた。
そして瀬戸際にいる自分に気付かないまま、
成功を目指して歌う事に集中した。


この頃、ジャニスは「どうしてドラッグをやるの?」
という友達の質問にこう答えている。


 「ただ少し、平和が欲しいだけなの」


そんな状態にあってもコンサートは確実に成功をおさめ、
怒濤のツアーを繰り返す日々が続いていく。


アルバム「コズミック・ブルース」リリース。

TV「ディック・キャヴェット・ショー」への2度目の出演。
TV「ミュージック・シーン」、
伝説の「ウッドストック」出演など


1969年はジャニスにとって真の意味で飛躍の年だった。


そしてジャニスはついに
相棒、サム・アンドリュー解雇する決意をする。


サムはウッドストックのわずか3本前のコンサートで
静かにギターを荷造りし、バンドを出て行った。


この出来事はジャニスも相当、
心から困惑したに違い無いだろう。

そして二人は初めて、ベッドで抱き合った。

この頃から、
それまでの元気がいい生意気なジャニスから、
周囲の無理解にウンザリして幻滅したジャニスに変わっていた。
ドキュメンタリ映像「Janis」のインタビューの様子なんかがまさにそうかも。


10月26日、


フロリダでジャニス逮捕。


巨大な会場で大勢の若者が椅子に立ち上がり興奮して騒ぐことから、
地元警察が重大な事態が発生することを心配していた。
そんな中、
ライヴ中に警官がステージに上がり拡声器を持ち出す。
それを見兼ねたジャニスは演奏を中断させ、
警官に冒涜的な言葉を放ってしまう。

一方、
そんなジャニスは「白人女性のブルース」の領域を超えようとして
音楽的模索を繰り返してもいた。
それまで影響されたアイドル的な黒人の真似事から
白人の伝統を引き継ぎ、
なおかつソウルフルな新しいサウンドを作るという難題に挑戦していた。


だが一方で、
ジャニスの身体は確実にむしばんでいた。


コンサートの間に高まったアドレナリンの放出を止める方法と、
ステージでの激しい集中を和らげ、
休息を得るためにヘロインを使用していた。
それでも彼女は自分から「ヘロインをやめたい」と医師を度々訪れもしている。
ジャニスはこの悪魔から逃れたいと願っていた。
そして様々な療養方から、
彼女は静かな場所に「家」を買うことを選んだ。

この年の年末には4ヶ月の休養をとり、
以前から欲しがっていた犬を飼う。


その雑種の愛犬につけた名前が「ジョージ」


カリフォルニア生活の大切な支えだった。
しかし、愛車のポルシェに乗せていた時、
突然ジョージは外に飛び出してしまう。
それ以来、戻ってくることはなかった。


きっとジョージは今も、
何処かで迷って家を探しているのかもしれない....。
そしてジャニスを...。


1969年、12月19日、
マディソン・スクエア・ガーデンのコンサートを最後に
KOZMIC BLUES BAND 解散。


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JANIS JOPLIN バイオグラフィー1
【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー2
【カレッジ時代(1961年)~LA. ヴェニス. オースティン時代(1962年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー3
【サンフランシスコ時代(1963年)~再び戻った家族のもと(1965年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー4
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY への加入(1966年)〜成功への階段(1967年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー5
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー6
【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

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JANIS JOPLIN バイオグラフィー8
【1970年10月4日. ジャニスの死】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー9 最終章
【大好きなジャニスへ】


ジャニスジョップリン
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by ohpg | 2011-01-21 00:24 | JANIS JOPLIN
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