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映画 GREMLiNS2 グレムリン2 ストーリー

GIZMOコレクター、Gisukeが紹介する映画GREMLiNS。コレクションの紹介。
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次に、
映画グレムリン2のストーリーを紹介します。


[ GREMLiNS 2 / STORY] THE NEW BATCH. - 新 種 誕 生 -

キングストン・フォールズの騒ぎから6年後。
ニューヨークのチャイナタウンの一角が再開発の波を受けて、
ギズモがひそみ住む家もパワーシャベルが壊し始めた。
逃げ出すギズモを「これは珍しい動物だ」と
人の手に捕まってしまうのだった。
一方、故郷キングストン・フォールズの町を出て、
大都会ニューヨークに就職した恋人同士のビリーとケイトは、
マンハッタンの大物、
ダニエル・クランプが支配する巨大企業に務めていた。
この企業は建設、金融、放送など色々な職種を経営していて、
バイオテクノロジーの科学研究所も持っていた。
人手に渡ったギズモはこの科学研究所で実験材料とされてしまい、
水をかけられたギズモからいたずらもののモグワイが増殖!
夜中に餌を食べてグレムリンに変身し、
バイオの液体を飲んで自ら新種に生まれ変わってしまうのだった。


壊されてゆくチャイナタウンの店から逃げるギズモが可愛過ぎ!
スパイダーに立ち向かうランボーギズモも勇ましくて可愛のでーす。


 製作/1990年 
 公開/1990年 アメリカ映画 108分
 監督/ジョー・ダンテ
 製作総指揮/スティーブン・スピルバーグ
       フランク・マーシャル
       キャスリーン・ケネディ
 脚本/チャーリー・ハース 
 出演/ザック・ギャリガン:ビリー・ペルツァー
    フィービー・ケイツ:ケイト・ベリンジャー
    ジョン・グローバー:大企業社長/ダニエル・クランプ
    ロバート・プロスキー:タレント/グランパ・フレッド
    ロバート・ピッカード:フォスター
    クリストファー・リー:科学研究所/キャサター博士


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GIZMOとは?
GIZMO モグワイ種族の特徴 プロフィール
映画 GREMLiNS グレムリン ストーリー
映画 GREMLiNS2 グレムリン2 ストーリー

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by ohpg | 2011-01-21 19:07 | GIZMO / GREMLiNS

映画 GREMLiNS グレムリン ストーリー

GIZMOコレクター、Gisukeが紹介する映画GREMLiNS。コレクションの紹介。
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ここからは
映画グレムリンのストーリーをお話しします。

ちなみに監督は
「E.T」「STAR WARS」でお馴染みのスティーヴン・スピルバーグ。

当時はこれ、
一応ホラー映画として公開されたんだけど、
ギズモがあまりに可愛くて誰もそんな事を忘れてしまったみたい(笑)


[ GREMLiNS / STORY ]

アメリカ中西部のキングストン・フォールズで、
20歳になる銀行員のビリーに発明家の父親が
チャイナタウンから奇妙な生き物を買って来て
クリスマス・プレゼントをした。
それはモグワイ種という珍しいペットで、
ビリーはそれに「ギズモ」と名付けたのだ。
しかしそのペットを飼うには、三つの約束を守らねばならなかった。
そしてこの誓いが破られた時、
可愛いモグワイは恐るべき凶悪な怪物グレムリンへと増殖していく。
かくして平和な田舎町キングトン・フォールズは
悪夢のクリスマスを迎えることになるのだった。
飼うための3つの誓い
「水に濡らさない」「真夜中過ぎに餌を与えない」「光に当てない」
が破られた時、
可愛い生物モグワイは奇怪な怪物グレムリンに増殖・変身し
田舎町をパニックに陥れる。


ちなみにこれ、
クリスマス映画でもあります。

ビリーが初めてプレゼントの箱を開けて
モゾモゾとひょっこり顏を出す瞬間のギズモが最高に可愛い!


 製作/1984年 
 公開/1984年 アメリカ映画 107分
 監督/ジョー・ダンテ
 製作総指揮/スティーブン・スピルバーグ
       フランク・マーシャル
       キャスリーン・ケネディ
 脚本/クリス・コロンバス
 出演/ザック・ギャリガン:ビリー・ペルツァー
    フィービー・ケイツ:ケイト・ベリンジャー
    ホイト・エクストン:ビリーの父/ランド・ペルツァー
    ポリー・ホリデー:ルビー夫人
    フランセス・リー・マッケーン:ビリーの母
    スコット・ブラディ:フランク保安官
    ジョン・C・ベッチャー:モリナロ医師


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GIZMOとは?
GIZMO モグワイ種族の特徴 プロフィール
映画 GREMLiNS グレムリン ストーリー
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by ohpg | 2011-01-21 19:02 | GIZMO / GREMLiNS

GIZMO モグワイ種族の特徴 プロフィール

GIZMOコレクター、Gisukeが紹介する映画GREMLiNS。コレクションの紹介。
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さて、
次にこの、GIZMOことモグワイ君の特徴を説明しましょう。


◯身長
 10インチ/約25Cm

◯体重
 不明。せいぜい1.5Kgくらいと推定されている。

◯頭脳
 どんな環境にもすぐに順応してしまうほど明晰!
 例えば日本人に飼われたら、
 ものの1時間程度で日本語をペラペラにマスターしてしまう!
 記憶力も良し!

◯目
 クルンとしている以外さして長所はないのです。

◯鼻
 相当、嗅覚が鋭い!ただし食べ物に関してのみ(笑)
 口よりも先にこの鼻で美味しいか不味いかを判別できるらしい。
 要するにただの食いしん坊くんなのです。

◯耳
 バカでかいだけあって人間が聞き取れない小さな音までキャッチ可能。
 人間に可愛がって欲しい時はピクピク動かすのである。

◯手
 指が4本。
 人間のように自在に動き、
 小型シンセサイザーやオモチャの自動車を見事に使いこなすのです!

◯足
 同じく指4本。でも扁平足なのであ~る!

◯その他
 歌が非常にうまい!
 その美声はあのウィーン合唱団もマっ青になるほど!
 「白雪姫」のハイホーが得意らしい。



ちなみに手足の指は、
映画「GREMLiNS 2」になると3本になっている!?

気付いていましたか?
みなさん?


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by ohpg | 2011-01-21 18:54 | GIZMO / GREMLiNS

GIZMOとは?

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そもそも、
GIZMO/ギズモとは何だか知っていますか?

映画に登場するあの忌まわしい容姿や愛くるしい姿だの
どっちがどっちだか分からない人も多いみたいですね。

GIZMO/ギズモとは
飼い主のビリーがつけた名前で、
実は「モグワイ」と言う種族の宇宙生物なのです!

しかも、
モグワイ種族をこの世に創造したのは地球人のモグターメン博士という人。

何世紀も前に、
宇宙のはるか彼方の惑星で博士は、
どんな気候や条件にも適応し、みる繁殖可能な、
おとなしくて知的な生物を作りだした。
それがモグワイ。

その博士が試しに、
そのうちの1匹を地球に送りこんだという訳(笑)

しかもそのモグワイが辿り着いてしまった所が台湾。
そこで中国人の老人に拾われて飼われるようになったのだった。

ところが、このモグワイ君、
博士も予想しなかった欠点を持っている事が判明!

 
1)光りを嫌い、太陽光線にあたると死んでしまう。
2)水に濡らすと細胞分裂をおこし急激に繁殖してしまう。
3)もっとも重大な欠点が真夜中に食べ物を口にすると凶暴な
 「グレムリン」に変豹してしまう!


以上の事から簡単に説明すると、


◯GIZMOとは?
 知的生命体/モグワイ種族の愛称。ま、コリー犬の名前がラッシーと同じ(笑)

◯グレムリンとは?
 ギズモが真夜中に食べ物を口にしてしまった事によって繁殖されたモンスター。



 分かっていただけたでしょうか?


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GIZMOとは?
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by ohpg | 2011-01-21 18:38 | GIZMO / GREMLiNS

GIZMOコレクター GREMLiNS 映画グレムリン

GIZMOコレクター、Gisukeが紹介する映画GREMLiNS。コレクションの紹介。

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自他共に認める、
GIZMOコレクターです(笑)

あまりに集め過ぎて家中GIZMO。
あっちに行ってもこっちに行っても
どこもかしこもギズモギズモギズモギズモ。

気がつくと外出する時も
自然にGIZMOがプリントされた服を着てしまうほど。
それならともかく、
手にしたカバンもGIZMO、、。
アハハハハ。

そんな俺が集めたコレクションの一部を紹介しています。
ちなみに、初期の頃のものが殆どです。
結構レアなモノも一杯ありますよ。

意外と、
映画GREMLiNSの内容や
GIZMOの事をを知らない人も多いので
せっかくなので紹介もしちゃたりします。
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GIZMOとは?
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by ohpg | 2011-01-21 18:24 | GIZMO / GREMLiNS

JANIS JOPLIN 大好きなジャニスへ

JANIS JOPLIN biography 9 最終章【大好きなジャニスへ】

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1970年10月4日、
ジャニスは逝ってしまった...。

ヘロインとアルコールによるオーヴァードース。
それが最終的な死因結果であることに間違いはない。
しかし、
それだけがジャニスを「死」に追いやった原因なのだろうか。


ただひたすら「成功」へ向かって彼女は努力した。
ただ「ブルース」が大好きで歌を歌った。
シンガーとしてではなく



ジャニス・リン・ジョップリン として



愛されたかっただけなのに。


「自由とは、失うものが何もないこと」


と、ジャニスは歌っているが、
彼女が本当に言いたかったこと、
それは


「失いたくないものがある」


という事でした。

家族や、友達、メンバー、名誉...
そしてドラッグをしていない自分自身。

ジャニスを「死」に追いやった一番の原因は、





 世の中の冷たさだったのではないだろうか。




俺はそう思います。

きっと彼女は、
今日もゆらゆらと大平洋を自由に泳いでいるんだろうな。


今回、
ジャニスをもっと分かって欲しいという気持ちだけで、
この長いページを綴りました。

そして彼女は、
偉大なシンガーである以上に「愛されたい」と願っていた
普通の女の子だということを、
伝えたかっただけなのです...。



俺は、
ジャニスの歌が大好きです。
ジャニスの笑顔が大好きです。


□ Gisuke



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【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

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【カレッジ時代(1961年)~LA. ヴェニス. オースティン時代(1962年)】

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【サンフランシスコ時代(1963年)~再び戻った家族のもと(1965年)】

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【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY への加入(1966年)〜成功への階段(1967年)】

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【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

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【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

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【真剣な恋、そしてFULL TILT BOOGIE BAND結成~アルバム「PEARL」レコーディング開始(1970年)】

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【1970年10月4日. ジャニスの死】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー9 最終章
【大好きなジャニスへ】


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by ohpg | 2011-01-21 01:09 | JANIS JOPLIN

JANIS JOPLIN biography 死亡 ランドマークホテル

JANIS JOPLIN biography 8【970年10月4日. ジャニスの死】

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1970年10月3日、
「生きながらブルースに葬られて」のレコーディング。

快調にオケの録音を終了。
次の日に行われるジャニスのヴォーカル録音の準備を整え、
メンバーは23:00に帰宅。

ジャニスは泊まっていた「ランドマーク・ホテル」に戻る前、
いつものように「バーニーズ・ビーナリー」というバーに立ち寄った。

レコーディング中もスタジオで飲んでいたのだが、
そこのカウンターで2杯の酒を飲み、
その後ホテルに戻る。

普段、
仕事の後に泳ぐことも多かったが、
その夜は泳がずに、
午前1時頃、タバコを買いにロビーへ行っただけだった。

自分の部屋に戻ったあと、
ジャニスはブラウスにパンティという姿でベッドに座る。

そして横のテーブルにタバコを置き、
お釣を手に持ったまま、



彼女は前に倒れた...。



その時、
テーブルにぶつかり、唇が切れた。







ジャニスリンジョップリン死亡。
享年 27才. 1970年10月4日. 秋。






ジャニスは、ホテルに戻った後、
いづれかの時点でヘロインを打った。

そしてそれは、
静脈ではなく皮下に注入されていた。

静脈注射の場合は、
即座に強烈な衝撃を与えるのに対し、
皮下注射の場合、
最大の衝撃はそれよりも遅く、
90分くらいの間に訪れる。

その夜、ジャニスが使ったヘロインは
夕方に「ジョージ」という男から買ったものだった。
実は、ジャニスは
ヘロインを始めてからずっとこのジョージから買っていた。
同じ売人からしか買わないように気をつけていたのだ。
もしかして、


ジャニスが愛していた愛犬と同じ名前だったからだろうか...。


そんな事を俺は思った。


ジョージの方も、
自分の売るものに気をつけ、
いつも売る前に化学テストを行っていたらしい。

しかし、
よりによって、
この日に限って、
いつもテストをする人間が街にいなかった...。


その土曜日、
ジャニスが買ったヘロインは、
純度が40%~50%もある
通常の4倍から10倍の効果を持つものだった。



床に倒れたジャニスが発見されたのは、
日曜の夜7:30。


死因は、
ヘロインとアルコールの相乗効果による
偶発的な「オーヴァードース」だった。



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by ohpg | 2011-01-21 00:58 | JANIS JOPLIN

JANIS JOPLIN biography フルティルトブギーバンド

JANIS JOPLIN biography 7
【真剣な恋、そしてFULL TILT BOOGIE BAND結成~アルバム「PEARL」レコーディング開始(1970年)】

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1970年、
ジャニスはヘロインという悪魔から抜け出そうと
懸命に努力をしていた。

しかし世の中もまた、
1968~1969年にかけてのヘロイン大流行が、
この年にはヘロインを辞める戦いに変わっていた。
みんながジャニス同様にドラッグから抜け出そうと格闘していた。

アメリカの時代は明らかに変わりはじめ、
ニクソン大統領はヴェトナムから軍の撤退をはじめようとし、
失業率は6%にのぼり、
18才の者に選挙権が与えられた。

この頃、
ジャニスはルームメイトの女友達と
リオのカーニヴァルを観にブラジルへ出かけている。
その理由は、
ドラッグ無しでも毎日を狂って過ごせるというものだった。
その旅の途中で


「デイヴィッド・ニーハウス」と劇的な出合いをする。


彼は1年半の間、カヌーでアマゾン川を行き、
ブラジルのジャングルを探検して戻ったばかりの荒々しくて逞しく、
人生の経験を十分に積んでいる男だった。

ジャニスはいつも、
自分のソウルを愛してくれる男性を求めていた。
有名なシンガー、ビートニクという表面の奥にある自分を見てくれる男性。
そしてそれを彼の中に見つけたのだ。
一夜限りの愛ばかり繰り返される中で、



ジャニスの真剣な恋が始まった。



実はデイヴィッド、
ジャニスを本物の「JANIS JOPLIN」だと知らずに付き合い始めたのだ。
その後ジャニスに

「君って、ロックスターのジャニスジョップリンに似てるよ」

と言ったそうだ。

ブラジルにいる間、
ジャニスはヘロインを使わず、デイヴィッドもそれを懸命に助けた。
禁断症状~衰弱、不眠、悪寒、
コールドターキーという名の由来になった繰り返して起こる鳥肌を起こす間、
彼女を抱き締めて励まし続けた。

ひどく苦しい1日の前後に
少しだけいい日があるという状態が繰り返された。
しかし効果は確実にあり、
ついにジャニスの身体からヘロインが抜けたのだ!

この滞在中、
ジャニスとデイヴィッドは沢山の話をしている。

ジャニスは音楽業界で成功した事がどれだけ大切か、
オースティンのスレッドギルの店で初めて拍手をもらった時に
どんな事を感じたか、などなど。

彼女は自ら飛び込んだ恐怖を克服したのだ!

その後オフを終えたジャニスが先にシスコに戻り、
2日後にデイヴィッドが到着。
ところがデイヴィッドは
灰色の幽霊に変わってしまったジャニスを見て言葉を失う。。


シスコのロックシーンは、
この4ヶ月間のうちに滅茶苦茶な状態で、
それだけでも人を混乱させるに十分だった。
そして再びじゃニスはヘロインを使用してしまう事となる。

デイヴィッドはヘロインの使用を反対しつつも、
ジャニスがそれを使ってしまう理由も同時に理解していた。

誰もが大きな感情の揺れを持っている。
人生は、ある時は明快でたやすく、
ある時は複雑で人を押しつぶしてしまう。

そのうえジャニスの前には、
ミュージシャンとしての多忙な日々とスケジュールの制約があった。
友達に会う事が出来ない日々が何ヶ月も続いたりしていた。

ジャニスはそれでも
デイヴィッドとの関係を続けようと懸命な努力をした。
ところが、彼が息抜きに一人でスキー旅行へ出かけ、
二日後に戻った時、
ジャニスが女性の恋人とベッドにいるとこころに遭遇してしまう。
そう、実は以前から


ジャニスはバイセクシャルだったのだ。


そしてついに二人の関係は終わってしまう。

実はジャニス、
本気でデイヴィッドとの結婚を考えていたらしい。

これを機にジャニスはブルース・バンド結成を諦めることにする。
それは、
大衆には認められそうに無いという判断から
自らがくだした結論だった。
そして、フォーク、ブルースシンガーだった彼女は、



ソウルフルなロックンロールシンガーへと転向する。



黒人ブルースの真似事ではなく、
個人的なブルースのヴァージョンを歌うことだと思ったのだ。
そして新バンド、

FULL TILT BOOGIE BANDを結成。


ジャニスは、
自分のパワーは真実を見極める事から生まれる事に気付きはじめていた。
また、個人としての自分と、
仕事の自分を分けて考えられる様にもなった。
そして、
自分の人生と仕事の関係を深く考えられるようになった。

勿論、問題もまだまだ多かったが、
それでもジャニスは自信を持って前進しようとする強さがあった。

この頃一時、
過去に立ち返ってみる気になっている。

そして、1970年4月4日に、
BBHCと一緒にステージに立ちバックヴォーカルをとった。

5月、ついに「FULL TILT BOOGIE BAND」がコンサートでデビュー。

バンドの状態も最高で、
BBHC時代のような家族的な付き合いも増え、ジャニスも快調!
再び本気モードに入った彼女はヘロインを断ち、
ツアー中は読書にふけっていた。

ジャニスの眼は明るく澄みきって、やる気十分だった。


そしていよいよ、
新しいアルバム(後のPEARL)のプリプロに突入!


この頃、ジャニスは
シンガーを引退したら「パールズ」というバーを開こうと計画していた。

そんな事もあり、
自分の事を「パール.バリー」と呼んでいた。

常連の客に

「ヘイ、パール、ビールおかわり!」

なんて呼ばれる事を想像しては楽しんでいたみたい。
しかし一方、
現実生活は相変わらず激しい起伏が続いていた。
そんな時彼女は


「自分は、心を売る売春婦のようだ」

 
と言っている...。

ジャニスは手首に「人生を認めた記念に」とタトゥーを入れ、


「望むだけを得られる事、
 そして死ぬ時は誰もが独りだって事、
 それを悟らなくちゃいけないのよ。
 本当の意味でそれを認める事ができたら、
 あまり傷つかずにすむ...。
 できるうちにやらなくちゃダメ。
 だって明日、それは無くなってしまうかもしれないから!」


とも言っている。


そんな時、8月5日、
ハイスクール卒業10周年の同窓会の知らせが届き
家族の疑問をよそにジャニスは出席をする。

実は6月に放映された「ディック・キャヴェット・ショー」の中で、
この同窓会を話題にして

「みんなは私を笑ってクラスの除け物にした。
 街からも州からも追い出した。
 だから帰るのよ!」

と話していた。
でも実際、ジャニスはちょっと後悔をしていたらしい(笑)
そして妹のローラを誘って出かける事にする。

この時、会場のインタビュー席を見たジャニスは
「まるで最後の晩餐みたいじゃない!?」と呆れて言った(笑)

実は同日のポートアーサーには
「ジェリー・リー・ルイス」がコンサートで訪れていた。

彼女は以前、ルイヴィトンで彼のコンサートに行き、
その後バックステージに行ったのだが、
ルイスはジャニスと話す事を拒否した男だった。
そんな事もあり、
からかい半分でローラを連れて再び訪れてみたものの、
かなり冷たい皮肉を浴びせられ
反射的に彼の顔面に拳をおみまいしてしまう事となる(笑)



9月、
LAに移動し「PEARL」のレコーディングを開始!


ちなみに、
CBSの規則では所属アーティスト、バンドは
社内のスタジオ、エンジニアを使用する事となっているのだが、
社外のスタジオでレコーディングを許されたCBSの歴史的な人物が
ジャニスなのである。

ジャニスはもっともっと大きな「成功」を掴むため、
一生懸命に取り組みながら
浮き沈みの激しい毎日を繰り返していた。


そしてまたヘロインを身体に流しはじめてしまう...。


レコーディングの間に、
お互いヘロインと敢然に縁を切るまで会わないと決めた友人と
1969年以来の連絡をとり
10月5日に「三船敏郎」の時代劇を観に出かける約束をしている。
恐らく時期的にこの映画は「SHO-GUN」じゃないかな?
あくまで推測です。

また、
以前から新しいアルバム用に曲を作ってくれ!と頼んでいた
NYの友人に連絡を入れている。

この時、
デモテープが待切れないジャニスは電話口で無理矢理、
友人に作った曲を歌わせたりしている(笑)
ジャニスはその曲が一発で気に入ってしまったらしく、
その友人は電話を切ってすぐにスタジオへ走り
デモのレコーディングを行ったらしい。

その曲は、
結局世の中に出る事のなかった


「私は、ロックンロール・ヘヴンに行く」


だった。



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by ohpg | 2011-01-21 00:48 | JANIS JOPLIN

JANIS JOPLIN biography コズミックブルースバンド

JANIS JOPLIN biography 6
【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

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1968年12月、
新バンド結成わずか3週間でデビュー。

この時点ではバンド名はないが、
後に「KOZMIC BLUES BAND」と呼ばれるようになる。

当時大ブレイクしていた
「アレサ・フランクリン」のようなスタイルにしようと
ホーンを参加させ、リズム&ブルース的なサウンドを目指す。
自分の心に自由に歌わせ、
昔から惹かれていたサウンドと自分の感情を合体させるチャンスでもあった!

そして12月21日、
メンフィスで行われたスタックス・ヴォルト・コンサートで初ライヴ!

心体的にもちょっと落ち着いたジャニスは
ポートアーサーにもちょくちょく戻る機会を増やしている。
また、この頃に弟のマイケルが
「お姉ちゃんのように学校を辞めて付いていきたい!」と言い出す。

ジャニスはそりゃ~弟が自分を信頼してくれたことを
心から喜んだに違いない。
でも、

「学校は絶対に辞めちゃダメ!卒業しなきゃダメよ。
 私のところには夏休みに来なさい」

とお姉さんらしい意見を述べている。
ん~ジャニスも25才になって、
大人になったんだな~と実感できるやりとり。


1969年、
一方メディアは、BBHCを脱退したジャニスバッシングをしはじめる。
これらは正直、俺は興味無いことだけど、
この後のジャニスをお話する上では必要なのかもしれない。
だから敢えて、いくつかを記すことにします。


 *その脱退はシスコシーンやジャニスに共感した事への公的拒絶だ!

 *ヒッピー文化が公然と軽蔑してきた金銭欲と個人に対する社会評価。
  ジャニスはそのエサに食らいついたのだ

 *今のジャニスはただのショービジネスだ

 *成功がジャニスをダメにした!

 *新しいやり方は滑稽で不愉快だ!


新しいバンドとBBHCの大きな違いは
メンバーを金でやとったスタジオミュージシャンだということ。
当然、ジャニスがそれまでに経験した
家族的なバンドを理想とする考えが通用する余地はどこにもなかった。
ステージを降りれば、ハイ、サヨナラ、
彼らの生活はバラバラだったのだ。

バッシングに対してだって、
ジャニス本人が一番分かっていた事だし、
それを理解した上で踏み切った決断だったのだ。
でもジャニスだって普通の弱い女の子だよ。
そんな事を公に言われれば辛くて泣くにきまってるじゃないか!
そんな状況に追い込まれてますます酒の量が増えていってしまう。
酒くらいで気がおさまるんなら飲ましてやれ~!
って俺だってそこにいたら言ったかもしれないな...。

そんな中、
3月にカリフォルニアへ行き、反感で沸き上がっている
ウエスト・コーストのファンとマスコミの前でコンサートを行う。
この時のプレッシャーが
ジャニスにヘロインの使用回数を増やさせてしまう事にもなる。

分かっていながら、
どうしようもない状態で、
大好きなアルコールにヘロインをプラスすることへの危険な賭けをしていた。
そして瀬戸際にいる自分に気付かないまま、
成功を目指して歌う事に集中した。


この頃、ジャニスは「どうしてドラッグをやるの?」
という友達の質問にこう答えている。


 「ただ少し、平和が欲しいだけなの」


そんな状態にあってもコンサートは確実に成功をおさめ、
怒濤のツアーを繰り返す日々が続いていく。


アルバム「コズミック・ブルース」リリース。

TV「ディック・キャヴェット・ショー」への2度目の出演。
TV「ミュージック・シーン」、
伝説の「ウッドストック」出演など


1969年はジャニスにとって真の意味で飛躍の年だった。


そしてジャニスはついに
相棒、サム・アンドリュー解雇する決意をする。


サムはウッドストックのわずか3本前のコンサートで
静かにギターを荷造りし、バンドを出て行った。


この出来事はジャニスも相当、
心から困惑したに違い無いだろう。

そして二人は初めて、ベッドで抱き合った。

この頃から、
それまでの元気がいい生意気なジャニスから、
周囲の無理解にウンザリして幻滅したジャニスに変わっていた。
ドキュメンタリ映像「Janis」のインタビューの様子なんかがまさにそうかも。


10月26日、


フロリダでジャニス逮捕。


巨大な会場で大勢の若者が椅子に立ち上がり興奮して騒ぐことから、
地元警察が重大な事態が発生することを心配していた。
そんな中、
ライヴ中に警官がステージに上がり拡声器を持ち出す。
それを見兼ねたジャニスは演奏を中断させ、
警官に冒涜的な言葉を放ってしまう。

一方、
そんなジャニスは「白人女性のブルース」の領域を超えようとして
音楽的模索を繰り返してもいた。
それまで影響されたアイドル的な黒人の真似事から
白人の伝統を引き継ぎ、
なおかつソウルフルな新しいサウンドを作るという難題に挑戦していた。


だが一方で、
ジャニスの身体は確実にむしばんでいた。


コンサートの間に高まったアドレナリンの放出を止める方法と、
ステージでの激しい集中を和らげ、
休息を得るためにヘロインを使用していた。
それでも彼女は自分から「ヘロインをやめたい」と医師を度々訪れもしている。
ジャニスはこの悪魔から逃れたいと願っていた。
そして様々な療養方から、
彼女は静かな場所に「家」を買うことを選んだ。

この年の年末には4ヶ月の休養をとり、
以前から欲しがっていた犬を飼う。


その雑種の愛犬につけた名前が「ジョージ」


カリフォルニア生活の大切な支えだった。
しかし、愛車のポルシェに乗せていた時、
突然ジョージは外に飛び出してしまう。
それ以来、戻ってくることはなかった。


きっとジョージは今も、
何処かで迷って家を探しているのかもしれない....。
そしてジャニスを...。


1969年、12月19日、
マディソン・スクエア・ガーデンのコンサートを最後に
KOZMIC BLUES BAND 解散。


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【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

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【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

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by ohpg | 2011-01-21 00:24 | JANIS JOPLIN

JANIS JOPLIN biography ビッグブラザー脱退

JANIS JOPLIN biography 5
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

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1968年、
BBHCは、NY アンダースン・シアターで行われた
「イースト・コースト」に出演。

この時のオープニングアクトは何とBB キング。

初のNY公演だったが、大絶賛される!
この時のジャニスをメディアは「アレサ・フランクリンの白人版だ!」
と語っているほどだった。

同年、メインストリームに25万ドルという驚愕な金額を払って解約をおこなう。
そして大手、CBSへ移籍する。

また、この時期に、
それまで長い間アメリカの音楽業界に根付いていたアーティストの男女格差が
ジャニスの登場によりなくなる事となる。
この功績はとても大きい事だったんです!

その一方、NYに於いてBBHCは、
シスコの家族的な絆を持つバンドとしてではなく、
ジャニスというシンガーのバックバンドのように扱われはじめる。
そしてついには、CBSによりバンド名を


[ JANIS JOPLIN and BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY ]


に変更されてしまう。


この頃のジャニスは、歌に対してこう述べている

「他のシンガーと同じくらい長い期間、
 歌うことは出来ないかもしれないけど、
 明日のことを思いわずらって今日を駄目にすることもあるはず...。
 今、この瞬間に手に入れるものが欲しいんです 」


1968年7月、
アルバム「チープ・スリル」リリース。

スタジオライヴ盤として発売されたものだが、
発売3日にしてゴールドディスクを獲得するという驚異的な売り上げをだす!

そんなジャニスが人々に認められたのは、
彼女が人々に見せた「公的」な姿が、
彼女の本当の人格に根ざしているものであるからだ!
....と思われたが、
それは実のところ、ジャニスの一部にすぎなかった。。
しかし彼女はそれが自分の全てだと思い込むようになっていく。

「私的」な自分よりも「公的」な自分のスイッチを入れなければならない機会が
確実に増えていたからだろう。

ジャニスは「ロスアンジェルス・タイムズ誌」にこんなことを述べている。

「ステージで歌っていると、
 空気の中で何かが本当に動いているみたいなの。
 形があるものじゃないけど、
 愛とか欲望みたいに、
 とてもリアルな何かが」


ジャニスは次第に、
本当の自分でいられるのはステージだけのようになっていってしまう。

まさにこ頃のジャニスは
「とりつかれたように感情を歌い上げるシャーマン」と化していた。


「私は感情で一杯で、いつもそれを解放したがっているの」


世の中の大衆は、
新しく発見した自由を謳歌するジャニスを見たがっていた。
会う人全てがジャニスがどんな人物かということに先入観を持ち、
ジャニスはそれに反応し付き合うことによって、
次第に自分の中の大切な「心のカケラ」を失ってしまう。。
しかも、気持ちが不安定で弱っている彼女をよそに
周囲の関係者は、BBHCの脱退を囁きはじめるようになる。
なんて最低な奴らなんだ! 悪魔め!


この頃のジャニスは、ホント疲れていたんだよ。
どうして誰もそれを分かってあげなかったんだろうか。。
彼女はいつも前向きで一生懸命、バンドの為に、ファンの為に、
家族の為に歌っていたのに...。
いつか誓った「自分に忠実であれ」という信条すら
判断することが曖昧になり、
何が一番良いのかは、他人が知っているのだと思うようになってしまう。


一方、この頃のジェイムズ・ガーリーは
大量のアルコール摂取でステージから転げ落ちそうな程だった。
そんな周囲の状況も続き、
ジャニスは、サム・アンドリューを誘ってソロ活動を決断する。

JANIS JOPLIN は既に大物になっていた。

そして他の大物たちと同じように厳しいビジネスの決断をくだしたのだ。
しかし、それと同時に
全てを自分ひとりの責任で決断していく道に足を踏み入れる事となる。

こんな大切な時期に於いても
ジャニスは家族に手紙を出して自分の選んだ人生の選択について
きちんと説明をしている。
それに対し母は、
全てを認め心から応援する意を伝えている。

そんなジャニスはこの後一気に力が抜けてしまい、
疲労のため2本のコンサートをキャンセル。
(分かりやすくてOK!笑)
それでも急速に回復した11月のコンサートで復活!
この時のヒューストン・ミュージック・ホール には
家族が全員で観に来てくれました。

実は、よくウワサされる「家族との不仲説」は、
ジャニスがマスコミに対して面白がってした作り話なんです。

そのストーリーは、
ひどい仕打ちをうけたはぐれ者が成功した!という話(笑)

その作り話の中にあったのが、よく聞く
「14才の時、家族がジャニスを追い出した」というもの。
でも実際、この話しをメディアで聞いた家族は打ちひしがれたらしい。
ま~無理もないけどね。
それでも家族は怒ったりしなかったそうです。
相変わらず悪戯っ子なジャニスだだったんだね。

さて、そしてジャニスは気合いを入れ直し、
それまでの「愛の世代の夢と幻想」にきっぱり背を向けた。


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by ohpg | 2011-01-21 00:07 | JANIS JOPLIN