不安と絶望の中で

[ Bar-42 ]

3月11日におきた東日本大震災から
はや2ヶ月半以上が経った。

未だ復興への道のりはほど遠いが、
俺なりに今日までの事を振り返ってみようと思う。

震災直後、
すぐに実家に電話してみたものの繋がらず、
姉のもとへ電話してみたら繋がったので、
大丈夫か、と確認したところ
その時点では「大丈夫」という言葉をもらったのでひと安心していた。
ところがニュースでは
相当な被害と津波警報を尋常じゃないほど流していたので
再度、電話してみたところ、誰にも繋がらなかった。
そしてそれ以来、
家族をはじめ友人など石巻市の誰とも連絡が途絶える事となった。

夜になっても真夜中になっても一向に繋がる様子がない。
そこでまずは、NTTの「171」で安否確認をとってみる。
しかしながら、どう考えたって
電話も繋がらない地域からメッセージが入っているとは思い難い。。
それでも、こちらからのメッセージを伝え、
5分おきくらいにチェック、チェック、チェックするばかり。
その後、
携帯の災害サイトから安否確認をするものの、それもダメ。。
この時ばかりは、
携帯なんて何の役にも立たねぇじゃね〜か!
と思ったくらいだ。

ニュースは普段の日常とは違う雰囲気で
永遠に震災情報を流し続けている。
そんな情報を見る度に、
これはただ事じゃない、、と深刻に思い始めた。


コ レ ハ タ ダ ゴ ト ジ ャ ナ イ ト 
シ ン コ ク ニ オ モ イ ハ ジ メ タ 。


とにかく、みんなが生きているか安否を確認しなければ!
ただそれだけを思い、電話をかけ続ける。

そんな時、ふと思いついたのが【twitter】だった。

すぐに情報を探すと、
すでに宮城県のハッシュタグも生成されており、
あれこれと日本中の各地から情報を求めるツィートがされていた。
まずは、これしかない!と思い、
俺も石巻市の被害状況、実家の町の情報を探ることとした。

しかし、
テレビもラジオも一向に石巻市の情報を伝えてくれなかった。。
なんで、石巻市の情報を流してくれないんだ!!??
ただそう思うばかりで、数日が過ぎた時、
早朝のラジオから流れた恐ろしい言葉に、
俺は背筋が凍り付き、呆然とした。


「津波は、女川町役場の3階までのみ込みました。」


それは、にわかには信じ難い情報だった。
まさか役場の3階まで!?
一体どうなっているのか、
あまりにもリアル過ぎて鵜呑みにすることが出来なかったのだ。

女川を襲った津波がそれほどのものなら、
一体、石巻市はどうなっているんだ!?


ツ ナ ミ ハ オ ナ ガ ワ チ ョ ウ ヤ ク バ ノ 
サ ン カ イ マ デ ノ ミ コ ミ マ シ タ 。


twitterでも様々な情報が少しずつ流れはじめ、
俺達は、
まだ確信できない恐ろしい状況と向合う事となった。

とにかく情報を共有しなくては!
少しでも小さな情報を共有し、
例え他人同士であっても
同じ石巻市出身の者同士で共有しなくては!
その思いが募り、
俺も沢山のツィートで情報を求め、
多くの方々と連携する事となった。
不思議な事に、
その連携が次第に小さな地域へと進展していき、
同じ石巻市で実家がほど近い方々とも
沢山情報をやりとりする事となった。
また、石巻市以外在住の方で、
車で出向いてくれるという方などもいてくれて
実際に訪れて安否を確認してきてくれた方々も沢山いてくれたのだ。
その連携も次第に大きくなり、
避難所を巡って、
張り出された安否確認の紙を
携帯の写メで撮影してくれる方も出て来てくれ、
ネットにアップロードしてくれた写真を、
ある人は テキスト化して検索できるようにしてくれたり、
各々のブログで
随時それらをコピペしてくれる方も増えていってくれたのだ。

震災から随分経ち、
石巻市に自衛隊やメディアが入れるようになった時には、
こちらで連携してテレビ局や新聞社などにも
実際、取材の要請をかけたりもしてきた。
そのかいもあって、
ある時期から随分とその被災状況などが
メディアを通じて知る事ができるようになった。
ただ、その状況を目の当たりにし、
あらためて家族や友人らの安否が心配されることとなったのも
正直なところだった。
なぜならその時点ですら、
誰とも連絡がとれなかったからだ。

最初の2週間は全く寝れず、
ただパソコンにはり付いてネットで情報を共有するばかりだった。

不安と絶望に押し流されそうになりながらも、
みんなの安否を願うばかりだった。

なんとか生きていてほしい。

ただその気持ちで精一杯だった。






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BGM ALBUM:
山本達彦【太陽がいっぱい】
九月のフォトグラフ




1982年にリリースされた
『山本達彦』のアルバム『太陽がいっぱい』
中学生の頃に同級生にすすめられてレコードを借りて以来、
大好きになったアルバム。
ロック以外で出逢ったアーティストの中では、
当時思春期の俺にはとても新鮮で思い入れも深い曲ばかりだ。
今でもなお聞き続ける、俺の中では名盤と言える一枚。
とくに「九月のフォトグラフ」はアンプラグドでも時々歌うほどである。
甘く切ない、澄みきった歌声がいつでも癒してくれるんだよね。
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# by ohpg | 2011-05-29 23:44 | Bar's Column