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JANIS JOPLIN biography フルティルトブギーバンド

JANIS JOPLIN biography 7
【真剣な恋、そしてFULL TILT BOOGIE BAND結成~アルバム「PEARL」レコーディング開始(1970年)】

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1970年、
ジャニスはヘロインという悪魔から抜け出そうと
懸命に努力をしていた。

しかし世の中もまた、
1968~1969年にかけてのヘロイン大流行が、
この年にはヘロインを辞める戦いに変わっていた。
みんながジャニス同様にドラッグから抜け出そうと格闘していた。

アメリカの時代は明らかに変わりはじめ、
ニクソン大統領はヴェトナムから軍の撤退をはじめようとし、
失業率は6%にのぼり、
18才の者に選挙権が与えられた。

この頃、
ジャニスはルームメイトの女友達と
リオのカーニヴァルを観にブラジルへ出かけている。
その理由は、
ドラッグ無しでも毎日を狂って過ごせるというものだった。
その旅の途中で


「デイヴィッド・ニーハウス」と劇的な出合いをする。


彼は1年半の間、カヌーでアマゾン川を行き、
ブラジルのジャングルを探検して戻ったばかりの荒々しくて逞しく、
人生の経験を十分に積んでいる男だった。

ジャニスはいつも、
自分のソウルを愛してくれる男性を求めていた。
有名なシンガー、ビートニクという表面の奥にある自分を見てくれる男性。
そしてそれを彼の中に見つけたのだ。
一夜限りの愛ばかり繰り返される中で、



ジャニスの真剣な恋が始まった。



実はデイヴィッド、
ジャニスを本物の「JANIS JOPLIN」だと知らずに付き合い始めたのだ。
その後ジャニスに

「君って、ロックスターのジャニスジョップリンに似てるよ」

と言ったそうだ。

ブラジルにいる間、
ジャニスはヘロインを使わず、デイヴィッドもそれを懸命に助けた。
禁断症状~衰弱、不眠、悪寒、
コールドターキーという名の由来になった繰り返して起こる鳥肌を起こす間、
彼女を抱き締めて励まし続けた。

ひどく苦しい1日の前後に
少しだけいい日があるという状態が繰り返された。
しかし効果は確実にあり、
ついにジャニスの身体からヘロインが抜けたのだ!

この滞在中、
ジャニスとデイヴィッドは沢山の話をしている。

ジャニスは音楽業界で成功した事がどれだけ大切か、
オースティンのスレッドギルの店で初めて拍手をもらった時に
どんな事を感じたか、などなど。

彼女は自ら飛び込んだ恐怖を克服したのだ!

その後オフを終えたジャニスが先にシスコに戻り、
2日後にデイヴィッドが到着。
ところがデイヴィッドは
灰色の幽霊に変わってしまったジャニスを見て言葉を失う。。


シスコのロックシーンは、
この4ヶ月間のうちに滅茶苦茶な状態で、
それだけでも人を混乱させるに十分だった。
そして再びじゃニスはヘロインを使用してしまう事となる。

デイヴィッドはヘロインの使用を反対しつつも、
ジャニスがそれを使ってしまう理由も同時に理解していた。

誰もが大きな感情の揺れを持っている。
人生は、ある時は明快でたやすく、
ある時は複雑で人を押しつぶしてしまう。

そのうえジャニスの前には、
ミュージシャンとしての多忙な日々とスケジュールの制約があった。
友達に会う事が出来ない日々が何ヶ月も続いたりしていた。

ジャニスはそれでも
デイヴィッドとの関係を続けようと懸命な努力をした。
ところが、彼が息抜きに一人でスキー旅行へ出かけ、
二日後に戻った時、
ジャニスが女性の恋人とベッドにいるとこころに遭遇してしまう。
そう、実は以前から


ジャニスはバイセクシャルだったのだ。


そしてついに二人の関係は終わってしまう。

実はジャニス、
本気でデイヴィッドとの結婚を考えていたらしい。

これを機にジャニスはブルース・バンド結成を諦めることにする。
それは、
大衆には認められそうに無いという判断から
自らがくだした結論だった。
そして、フォーク、ブルースシンガーだった彼女は、



ソウルフルなロックンロールシンガーへと転向する。



黒人ブルースの真似事ではなく、
個人的なブルースのヴァージョンを歌うことだと思ったのだ。
そして新バンド、

FULL TILT BOOGIE BANDを結成。


ジャニスは、
自分のパワーは真実を見極める事から生まれる事に気付きはじめていた。
また、個人としての自分と、
仕事の自分を分けて考えられる様にもなった。
そして、
自分の人生と仕事の関係を深く考えられるようになった。

勿論、問題もまだまだ多かったが、
それでもジャニスは自信を持って前進しようとする強さがあった。

この頃一時、
過去に立ち返ってみる気になっている。

そして、1970年4月4日に、
BBHCと一緒にステージに立ちバックヴォーカルをとった。

5月、ついに「FULL TILT BOOGIE BAND」がコンサートでデビュー。

バンドの状態も最高で、
BBHC時代のような家族的な付き合いも増え、ジャニスも快調!
再び本気モードに入った彼女はヘロインを断ち、
ツアー中は読書にふけっていた。

ジャニスの眼は明るく澄みきって、やる気十分だった。


そしていよいよ、
新しいアルバム(後のPEARL)のプリプロに突入!


この頃、ジャニスは
シンガーを引退したら「パールズ」というバーを開こうと計画していた。

そんな事もあり、
自分の事を「パール.バリー」と呼んでいた。

常連の客に

「ヘイ、パール、ビールおかわり!」

なんて呼ばれる事を想像しては楽しんでいたみたい。
しかし一方、
現実生活は相変わらず激しい起伏が続いていた。
そんな時彼女は


「自分は、心を売る売春婦のようだ」

 
と言っている...。

ジャニスは手首に「人生を認めた記念に」とタトゥーを入れ、


「望むだけを得られる事、
 そして死ぬ時は誰もが独りだって事、
 それを悟らなくちゃいけないのよ。
 本当の意味でそれを認める事ができたら、
 あまり傷つかずにすむ...。
 できるうちにやらなくちゃダメ。
 だって明日、それは無くなってしまうかもしれないから!」


とも言っている。


そんな時、8月5日、
ハイスクール卒業10周年の同窓会の知らせが届き
家族の疑問をよそにジャニスは出席をする。

実は6月に放映された「ディック・キャヴェット・ショー」の中で、
この同窓会を話題にして

「みんなは私を笑ってクラスの除け物にした。
 街からも州からも追い出した。
 だから帰るのよ!」

と話していた。
でも実際、ジャニスはちょっと後悔をしていたらしい(笑)
そして妹のローラを誘って出かける事にする。

この時、会場のインタビュー席を見たジャニスは
「まるで最後の晩餐みたいじゃない!?」と呆れて言った(笑)

実は同日のポートアーサーには
「ジェリー・リー・ルイス」がコンサートで訪れていた。

彼女は以前、ルイヴィトンで彼のコンサートに行き、
その後バックステージに行ったのだが、
ルイスはジャニスと話す事を拒否した男だった。
そんな事もあり、
からかい半分でローラを連れて再び訪れてみたものの、
かなり冷たい皮肉を浴びせられ
反射的に彼の顔面に拳をおみまいしてしまう事となる(笑)



9月、
LAに移動し「PEARL」のレコーディングを開始!


ちなみに、
CBSの規則では所属アーティスト、バンドは
社内のスタジオ、エンジニアを使用する事となっているのだが、
社外のスタジオでレコーディングを許されたCBSの歴史的な人物が
ジャニスなのである。

ジャニスはもっともっと大きな「成功」を掴むため、
一生懸命に取り組みながら
浮き沈みの激しい毎日を繰り返していた。


そしてまたヘロインを身体に流しはじめてしまう...。


レコーディングの間に、
お互いヘロインと敢然に縁を切るまで会わないと決めた友人と
1969年以来の連絡をとり
10月5日に「三船敏郎」の時代劇を観に出かける約束をしている。
恐らく時期的にこの映画は「SHO-GUN」じゃないかな?
あくまで推測です。

また、
以前から新しいアルバム用に曲を作ってくれ!と頼んでいた
NYの友人に連絡を入れている。

この時、
デモテープが待切れないジャニスは電話口で無理矢理、
友人に作った曲を歌わせたりしている(笑)
ジャニスはその曲が一発で気に入ってしまったらしく、
その友人は電話を切ってすぐにスタジオへ走り
デモのレコーディングを行ったらしい。

その曲は、
結局世の中に出る事のなかった


「私は、ロックンロール・ヘヴンに行く」


だった。



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JANIS JOPLIN バイオグラフィー1
【ジャニスリンジョップリン誕生(1943年)~ハイスクール時代(1960年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー2
【カレッジ時代(1961年)~LA. ヴェニス. オースティン時代(1962年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー3
【サンフランシスコ時代(1963年)~再び戻った家族のもと(1965年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー4
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY への加入(1966年)〜成功への階段(1967年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー5
【BIG BROTHER AND THE HOLDING COMPANY 脱退(1968年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー6
【KOZMIC BLUES BAND 結成(1968年)~解散(1969年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー7
【真剣な恋、そしてFULL TILT BOOGIE BAND結成~アルバム「PEARL」レコーディング開始(1970年)】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー8
【1970年10月4日. ジャニスの死】

JANIS JOPLIN バイオグラフィー9 最終章
【大好きなジャニスへ】


ジャニスジョップリン
シリアル別のアナログ盤、ディスコグラフィーなど、
様々なコレクションはこちらで紹介しています。
是非ご覧ください。
Gisuke YOUNG DUDES BAR PC web site
by ohpg | 2011-01-21 00:48 | JANIS JOPLIN
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